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大阪地方裁判所 昭和26年(行)35号 判決 1957年2月19日

原告 市野兼三郎

被告 生野税務署長

訴訟代理人 河津圭一 外六名

主文

被告が昭和二五年三月一五日付で原告の昭和二四年度分所得税の総所得金額を六〇五、〇〇〇円と更正(のちに昭和二六年九月一三日付で総所得金額を三四二、七〇〇円と誤びゆう訂正)した処分のうち二一八、六〇〇円を超える部分は、これを取り消す。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを三分し、その一を原告の負担とし、その二を被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は「被告は昭和二五年三月一五日付で原告の昭和二四年度分所得税の総所得金額を六〇五、〇〇〇円と更正(のちに昭和二六年九月一三日付で総所得金額を三四二、七〇〇円と誤びゆう訂正)した処分のうち、一六〇、〇〇〇円を起える部分は、これを取り消す。訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決を求め、その請求の原因として

「一、原告は肩書住所で瀬戸物小売商を営んでいるものであるが、被告に対し昭和二四年度分所得税に関する確定申告として、総所得金額を一六〇、〇〇〇円と申告したところ、被告は昭和二五年三月一五日付で右金額を六〇五、〇〇〇円と更正したので、原告は政府に審査の請求をしたが、これに対する決定がないまゝ被告は昭和二六年九月一三日以で総所得金額を三四二、七〇〇円と誤びゆう訂正をし、その旨原告に通知した。

二、しかし、被告が原告に通知した右の誤びゆう訂正処分には理由を付記していない所得税法第四八条第五項の規定に従わない違法があるのみでなく、前記更正(のちに誤びゆう訂正)処分には次の違法がある。原告の営業は昭和二三年頃より翌二四年末まで瀬戸物の価格の暴落で不振であり、被告もそのことを認め昭和二三年度分の総所得金額として原告が予定申告をした一六〇、〇〇〇円余についてはそのまゝ是認しておきながら、昭和二四年度分について前記のように三四二、七〇〇円としたことはなんらの根拠がない。さきの更正処分をするにあたつては生野税務署の宮本事務官がすでに調査をしていたのに、当時の資料を被告が紛失したため、昭和二六年一八月一四日頃、再び生野税務署の木元事務官が調査をし前記の誤びゆう訂正処分をしたのであるが、原告のした審査の請求に対し直ちに調査することを怠り、約一年六ケ月も経過したのちにおいて原告の昭和二四年度における総所得金額を調査することができないことはいうまでもなく、被告のした前記更正(のちに誤びゆう訂正)処分はいゝかげんな推定によるものであることが明らかである。原告の昭和二四年度における総収入金額は五五〇、一九一円であり、これより同年中の必要経費三九〇、一九一円を控除した一六〇、〇〇〇円が総所得金額となるから、右処分のうちこれを起える部分の取消を求めるため本訴に及んだ。」

と述べ、被告の答弁に対し、

所得税の課税標準たる所得金額は、総収入金額(売上高)より必要経費を控除して算出するのが相当で、従来も被告はそのようにしていた。したがつて売上帳を備えている原告の昭和二四年度分の所得金額を算出するには、右の売上帳を基に収入(売上)を算出し所得金額を認定すべきであり、特に瀬戸物のように流行がはげしくなく変質のおそれの少い商品は回転率も極めて遅いから単純に仕入額から売上高を推定することはできない。かりに、仕入先等における原告名義の同年中の仕入額が被告主張のとおりであるとしても、その中には原告の次男市野和雄の仕入れた二六〇、〇〇〇円余を含んでいる。すなわち、和雄は昭和二四年三月から同年一二月まで大阪市西成区鶴見橋通六丁目において原告より独立して瀬戸物小売商を営んでいたが、その間同人は原告と同じ仕入先より二六〇、〇〇〇円余の商品を仕入れた。その仕入先では売上帳などに単に「市野」もしくは「市野商店」と記帳しているため、被告は、これをも原告の仕入額と誤認しているから、これは前記原告名義の仕入額より控除すべきである。

原告が昭和二四年中の支出として昭和二三年度身の所得税五一、二四三円を納付し、自転車六、五〇〇円、電池二、四〇〇円を購入したことは認める。しかし原告は昭和二四年中の被告主張のような生計費を支出していない。同年中における原告の家族数は原告を含め四名である。すなわち、原告の営業が不振のため長男市野勝己はその妻子二人とともに昭和二三年四月から原告方を出て他で就職し、四男市野勝哉も同年末に大学を中退して東京で就職し、次男和雄は同年秋頃から原告より独立して瀬戸物露天商をしていたが翌二四年三月より前記のように瀬戸物小売商をはじめた。原告の同年中における生計費は家賃、電燈料、ガス代を除き合計一四六、二八六円にすぎない。」

と述べた。

被告指定代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は、原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として、

「一、原告の請求原因一、の事実は認める。被告が原告に通知した誤びゆう訂正の通知に理由を付記していないことは認めるが、誤びゆう訂正は処分行政庁である被告の自省作用としてしたもので、審査の請求に対する決定と異なり理由を付記する必要はなく、被告のした本件更正(のちに誤びゆう訂正)処分は、その内容についても以下に述べるとおり違法な点はない。

二、原告は営業に関する帳簿としては、売上帳を備えいるのみで他になんの帳簿も備えていない。もつとも仕入伝票を保存していたが、後に述べるように被告の調査によるとかなりの脱漏がある。とかく記帳を忘れやすい原告のような小売商が件数としては僅かな仕入に関する帳簿の記帳もしていないところからみて、より件数の多い売上の記帳をもれなくしているとは考えられないし、仕入伝票も完全に保存していないので、原告の昭和二四年中の総所得金額は次のような推計によつた。すなわち、右の仕入伝票及び仕入先の調査により原告の同年中の仕入額を六六〇、二〇〇円と認め、これと、原告やその同業者の意見を参考にして認めた荒利益率(差益率)四〇%を基礎に、原告の総収入金額(売上高)を一、一〇〇、三三三円{660,260÷(1-0,4)=1,400,333}と推計し、これより仕入金額六六〇、二〇〇円及び必要経費九七、四三三円を控除した三四二、七〇〇円を原告の同年中におけ総所得金額と決定した。原告のような小売商にあつては通常ほゞ一定数量の商品をに保有し売上に応じ順次仕入れをするものであるから、仕入額に応じた売上があつたとみるべきで、以上のような推計によることは不当でない。被告のその後の調査の結果をも含めると原告の同年中の仕入額は次のとおりである。

(一)原告が保存する仕入伝票により判明した仕入額

(商店名)   (仕入額)  (内訳)

池田       六八〇円 一月分

佐野     五、二七二円 一六九二円(一月分)・三五八〇円(一〇月)

丸山     五、五五〇円 一月分

藤本    六〇、二二〇円 三、五四〇円(八月分)・一二、三六〇円(一〇月分)・一六、二六〇円(一一月分)・二八、〇六〇円(一二月分)

丸多    一七、七七九円 一月分

東井      二〇一五円 一月分

不詳       六五〇円 二月分

仲秀    三二、一一八円 一二、五五〇(一月分)・六、五五三円(二月分)・七、五五五円(九月分)・一九〇〇円(一〇月分)・一、五〇〇円(一一月分)・一、二六〇円(一二月分)

後藤     一、三三六円 二月分

久野    一一、六二一円 四、九六〇円(四月分)・三三五円(一〇月分)・六、三二六円(一二月分)

本多     二、七六〇円 一一月分

丸塩     一、〇八〇円 二月分

近幾陶器株    六〇〇円 一月分

美阪     九、六六〇円 二月分

加藤       七〇七円 一〇月分

合計   一五二、〇四八円

(二)仕入先等の調査により判明した仕入額

(商店名)   (仕入額)  (内訳)

関西硝子株 二四、七六一円 二、四六〇円(一月分)・三、二五五円(二月分)・三、二七二円(三月分)・一、二九六円(五月分)・二、八九八円(六月分)・四、八〇〇円(七月分)・五、五八〇円(八月分)・一、二〇〇円(九月分)

三晃    三六、四六五円 三、六五〇円(二月分)・五、四五〇円(三月分)・四、〇四〇円(四月分)・一〇、八三五円(五月分)・三、一〇〇円、(六月分)・九、三九〇円(九月分)

牧野    五二、〇二〇円

塩津     九、〇六六円 四、〇三八円(九月分)三、七三二円(一一月分)・一、二九六円(一二月分)

亀井     六、八〇〇円 四、三〇〇円(一一月分)・二、五〇〇円(一二月分)

井斗   一六五、三一四円 一五、六二〇円(二月分)・七、〇七〇円(三月分)・六、八〇〇円、(四月分)・二七、〇八〇円(五月分)・一八、八八〇円(六月分)・三、一〇〇円(七月分)・九、三四〇円(九月分)・一八、九三五円(一〇月分)・七、六〇〇円(一一月分)・五〇、八八九円(一二月分)

前岨       二九三円 二、二二八円(二月分)・三、六〇〇円(一〇月分)・三、四六五円(一一月分)

加藤   一一四、一一一円 四八、六六六円(六月一日以前の分)・一五、二〇〇円(七月分)・一三、八六〇円(一〇月分)・一四、五一五円(一一月分)・二一、八七〇円(一二月分)

美阪    三九、〇一四円四〇銭 七、七六〇円(三月分)・四、五八〇円(四月分)・六、九六〇円(七月分)・一〇、四九八円四〇銭(一一月分)・九、二一六円(一二月分)

石原    一一、一一三円 四、七四二円(一月分)・四六二円(二月分)・四、四二〇円(三月分)・一、四八九円(四月分)

田中   約五〇、〇〇〇円

合計   五一七、九五七円四〇銭

(三)  丹羽一夫及び久野修一よりの仕入額

原告は、昭和二五年一〇月四日その事業の組織を法人にあらため、原告が無限責任社員となり、他に八名の有限責任社員を加えて合資会社伊富屋商店を組織したが、右八名のうち六名は従来の原告の主な仕入先の瀬戸物業者で、いずれも二五、〇〇〇円の商品を出資の目的としているから、右の出資はいずれも原告に対する前年中の売掛金の一部を出資にふりかえたものと解される。昭和二四年中における原告に対する売掛金は、右六名のうち加藤源治、水野富士、田中六郎、井斗文吉の四名は各々四〇、〇〇〇円を下らなかつたので、他の二名すなわち丹羽一夫及び久野修一もそれぞれ右金額と同じ売掛金を有していたものと推定される。したがつて、原告の昭和二四年中における右の丹羽、久野両名よりの仕入額は合計八〇、〇〇〇円を下らない。以上(一)(二)(三)の仕入額は合計七五〇、〇〇五円四〇銭を下らない。

原告は、右の仕入額には和雄の仕入額が含まれているというが、後に述べるように同人は原告から独立して営業していたことはなく、かりに同人が原告と別に営業していたとしても、同人は原告の同居親族であるから、その所得は原告の所得に合算して課税するのが正しく、和雄の仕入額を控除すべき理由はない。したがつて、被告が原告の総収入金額を推計する基礎とした前記仕入額の認定は実際よりすくなく、なんら不当な点はない。

つぎに差益率については、原告の本件更正処分並びに誤びゆう訂正処分に対する各審査の請求書によると、売上金額五五〇、一九一円、差益二三六、五八二円、必要経費七六、五八二円とそれぞれ計上していて、その差益率が四三%(236,582円÷550,191円 = 43%)であることは原告の自認するところであつて、被告が認定した差益率に誤りはない。原告が本訴で主張する必要経費三九〇、一九一円は、右の審査請求書に照すと仕入額三一三、六〇九円(売上額550,191円-差益236,582円 = 仕入額313,609円 )と必要経費七六、五八二円とを合算したものであることが明らかである。なお、本件更正(のちに誤びゆう訂正)処分においては、原告の本件更正処分に対する審査の請求書に計上してある支出金と交際費と思われるものを加えた九七、四三三円を必要経費として認めた。

三、以上のように、本件更正(のちに誤びゆう訂正)処分にはなんらの違法もなく、右の処分が正しいことは以下の事実に照しても明らかである。原告が、昭和二四年中に支出したと認められる理論生計費は二七六、八二二円七〇銭であり、そのほか原告が同年末現在において三和銀行寺田町支店に有する普通預金三〇、〇〇〇円と同年中に支出した昭和二三年度分所得税五一、二四三円、府、市民税三、八五八円、家屋税二六六円並びに購入した什器類すなわち自転車六、五〇〇円電池二、四〇〇円、スピーカー一六、〇〇〇円の代金以上合計金三八七、〇八九円七〇銭は原告が昭和二四年中における所得からこれを支出したいというべきであるから、原告は同年中にすくなくともこれと同額の所得があつたものとみるべきである。なお、右の理論生計費の内訳は次のとおりである。

総理府統計局の消費者価格調査(C・P・S)に基づく昭和二四年中の大阪市における一人あたり生計費は、一月二、五三三円七〇銭、二月二、三三二円八〇銭、三月二、六六二円二〇銭、四月二、七七五円一〇銭、五月二、七八九円九〇銭、六月二、七〇八円、七月二、七九二円、八月二、六四二円五〇銭、九月二、六三五円四〇銭、一〇月二、八五三円、一一月二、六〇三円一〇銭、一二月三、五七三円、平均一箇月二、七四一円七〇銭である。原告の家族数は、同年一月は原告とその妻及び次男以下息子三名娘一名の六名であつたが、同年二月から八月までの間長男勝己夫婦とその子一名が、同年九月から一二月までの間勝己の妻子二名がいずれもその生計費を原告に仰いで生活していたので、同年二月から八月まで九名、九月から一二月まで八名であつたから、同年中の原告の生計費は合計二七六、八二二円七〇銭であつたというべきである。なお、原告の次男和雄が同年中において原告から独立して営業していたことはなく、原告主張の鶴見橋通りの店舗は原告の出店とみるべきものであつた。かりに、和雄が右店舗で原告より独立して営業していたとしても、和雄は当時原告と同居していてその生計費は原告が支出していたものである。原告の四男勝哉が上京したのは昭和二五年のことであつて、昭和二四年中は原告方にいた。」

と述べた。

証拠<省略>

理由

一、原告が被告に対し昭和二四年度分所得税に関する確定申告として、総所得金額を一六〇、〇〇〇円と申告したところ、被告が昭和二五年三月一五日付で右金額を六〇五、〇〇〇円と更正したこと、原告が政府に審査の請求をしたが、これに対する決定のないまゝ被告が昭和二六年九月一三日付で総所得金額を三四二、七〇〇円と誤びゆう訂正をし、その旨原告に通知したことは当事者間に争いがない。原告は、右誤びゆう訂正の通知には理由が付記されていない(この事実は被告の争わないところである)から違法であると主張する。しかしながら税務署長が、自らのした更正処分に誤びゆうがあることを発見して、納税義務者の利益のためにその訂正処分を行うのは、更正処分に不服のある者からの請求によつてする決定(再調査決定、審査決定)とは性質を異にし、処分行政庁の自省作用の発現としての自発的処分であるから、所得税法第四八条第五項の準用の余地がないと考うべきであるし、また、更正処分について誤びゆう訂正処分がなされたときは、さきの処分と実質的一体をなして、当初から訂正された内容の更正処分があつたものというべきであり、更正処分(および再更正処分)は所得税法第四四条第四五条によれば、税務署長がその調査により独自の立場で行う処分であり、同法第四五条第二項の場合を除くのほか、処分の理由を示すことは法の要求するところではないから、右誤びゆう訂正処分には理由を付記することを要しないものと解する。以上と異なる原告の主張は採用できない。

二、原告が、昭和二四年度は肩書住所で瀬戸物小売商を営んでいたことは当事者間に争いがない。被告は、原告の同年中の仕入額より収入(売上)を推計するのに対し、原告は、実収入額を記帳した売上帳を備えている以上推計によることは許されないと主張するからまずこの点を検討するのに、成立に争いのない甲第七号証(原告の同年中の売上帳)によると、右の売上帳にはほゞ原告主張のとおりの収入(売上)のあつた旨の記帳があるが、これと証人木元熙文の証言並びに弁論の全趣旨を総合すると、原告は同年中の収支について右の売上帳、売上日記及びたな卸表のほかは全然記帳していないばかりでなく、原告記帳の売上額は後に認定する仕入額より僅か数万円多いのみであつて、右の売上帳にはかなりの記帳もれがあり、真実の売上実績を反映していないことがうかがわれるし、他方所得の実額調査が可能であると認むべきものもない。したがつて、原告の収入は後に述べるように仕入額より推計する方法を用いて算定することが許されるものといわなければならない。

成立に争いない乙第一ないし第一七号証、第一八号証の一、二、三、第一九号証の一ないし五、同号証の一三、第二〇、第二九号証に証人木元熙文、同市野和雄、同黒川恒雄、同西尾辰造、同牧野栄造、同亀井順次、同石原道子、同隅田良一、同山川喜一郎の各証言を綜合すると、原告が保存していた仕入伝票及び原告の仕入先の売上帳から判明する原告名義の昭和二四年中における仕入額は被告主張二、(一)、(二)の合計六七〇、〇〇五円四〇銭であることが認められる。ところで原告名義の同年中の仕入額のなかには原告の次男市野和雄の仕入額をも含んでいると争うので、次にこの点を検討する。

証人市野和雄の証言(一部)と原告本人の供述を合わせ考えると、和雄はかねてから原告の営業を手伝つていたが、のちに原告から独立して大阪市西成区鶴見橋通六丁目で店舗を構え同年四月から同年末まで瀬戸物小売商を営み、その間原告とは別個に原告と同じ仕入先から商品を仕入れていたが仕入先の発行する原告または和雄に対する仕入伝票にはいずれも単に「市野」あるいは「市野商店」あてとしてあつたものの、和雄に対する仕入伝票が原告の方に混入したことはなく、したがつて、原告が仕入伝票を保存していたものは原告が仕入れた分であることが認められる。市野証人の証言のうち、右認定に反する部分は原告本人の供述に照し記憶違いと考えられるので採用しない。右認定の事実に前掲各証拠並びに弁論の全趣旨を総合すると、前に認定した原告名義の仕入額六七〇、〇〇五円四〇銭のうち、同年一月分から三月まで仕入額、原告が仕入伝票を保存していたものに照応する仕入額及び関係者の記憶により原告のものと認められる仕入額などいずれも原告が仕入れたことの明らかな合計五一五、六五四円四〇銭を除く同年四月から同年末までの間(和雄の営業及びこれに伴う仕入れ期間)における仕入額一五四、三五一円は、和雄と原告の双方の仕入額の合計であると認められるのであつて、その明細は次のとおりである

(被告主張の二、(二)の一部)。

(商店名)    (仕入額)  (内訳)

関西硝子(株) 一〇、一九四円 一、二九六円(五月分)・二、八九八円(六月分)・四、八〇〇円(七月分)・一、二〇〇円(九月分)

三晃      一三、九三五円 一〇、八三五円(五月分)・三、一〇〇円(六月分)

塩津       一、二九六円 一二月分

亀井       六、八〇〇円 四、三〇〇円(一一月分)・二、五〇〇円(一二月分)

加藤      六三、八六六円 四八、六六六円(六月一日以前の分)・一五二、〇〇円(六月分、被告は七月分と主張するが六月分と認める。)

美阪       八、二六〇円 六、九六〇円(七月分)・一、三〇〇円(一二月分九、二一六円のうち原告が仕入伝票を保存していない分)

田中      五〇、〇〇〇円

以上合計   一五四、三五一円

そして、右の合算仕入額に対応する仕入額に対応する仕入先の帳簿などに単に「市野」または「市野商店」と記帳しているのみであつて、右合算仕入額のうち原告の仕入額が幾何であるか、区分する証拠が存しないから原告名義の前記仕入額のうち、右の一五四、三五一円については結局原告が仕入れたものであることの立証がないことに帰する。なお、被告は、原告が右のほか丹羽、久野両名より合計八〇、〇〇〇円の仕入額があつたと主張するが、その立証がない。以上のように、原告の同年中における仕入額は五一五、六五四円四〇銭であると認められるのであって、これに反する原告本人の供述は前記各証拠に照し信用できない。

被告は、和雄は原告の同居親族であるから、その所得に原告の所得に合算して課税するのが正しく、和雄の仕入額を控除する理由はないと主張するが、和雄が原告から独立して営業していたことはさきに認定したとおりであつて、被告の右主張は採用できない。

三、つぎに、原告本人の供述によれば、原告の昭和二四年中における差益率(荒利益率)が三八%であつたことが認められる。これと異る証人今井時之助、同木元熙文の証言は原告本人の供述に照し採用できない。もつとも、原告の本件更正並びに誤びゆう訂正処分に対して各審査請求書(乙第三〇、第三一号証)によると、同年中の差益率を四三%として収支を計上してあることが認められるが、原告本人の供述及び弁論の全趣旨を総合するとこれは原告がその主張する所得金額を算出するためことさらそうしたものと考えられるから、このことは前記認定をする妨げとはならない。そして、小売商は特別の事情のない限り売上(収入)に応じた仕入れをしてゆくものであるから、仕入額と差益率を基にしてその収入金額(売上高)を推計することはもとより妥当な方法と解するところ、特別の事情の認められない原告の場合にあつても右の方法によるのが相当であり、前記認定の仕入額五一五、六五四円四〇銭と差益率三八%を基にして推計すると、原告の同年中の総収入(売上)金額は八三一、七〇〇円{515,654.40÷(1-0.38)= 831,700 }であるといわなければならない。

すると、原告の昭和二四年度の総所得金額は、収入金額八三一、七〇〇円より仕入金額五一五、六五四円四〇銭及び証人木元熙文の証言によつて認められる必要経費九七、四三三円を控除した二一八、六〇〇円(国庫出納金等端数計算法により一〇〇円未満切捨)であることが計算上明らかである。原告は、必要経費は三九〇、一九一円であると主張するが、成立に争いない乙第三〇号証と原告の主張とを対比すると、右金額は原告が審査の請求において主張した仕入額三一三、六〇九円と必要経費七六、五八二円とを合算したものであることが認められるところ、さきに認定したように原告の同年中の仕入額は五一五、六五四円四〇銭であり、原告の同年中の総所得金額の算出にあたつてすでにこれを控除しているのであるから、原告のいう右仕入額三一三、六〇九円を重ねて控除すべきでないことはいうまでもない。

つぎに被告は、原告の同年中における理論生計費と必要経費以外の支出金等は原告の同年中の所得から支出されたとみるべきで、右支出金額が本件処分において被告の認めた所得金額をこえていることからしても、本件処分に不当な点はないと主張するけれども、証人市野和雄の証言と原告本人の供述を合わせ考えると、原告の同年中における生活状態は必ずしも良好ではなく、理論生計費を適用しその生計費を推定するのは相当でないと認められるので、その余の点につき判断するまでもなく被告の右主張は採用できない。

四、してみると、原告の本訴請求は、本件更正(のちに誤びゆう訂正)処分のうち、総所得金額二一八、六〇〇円を超える部分の取消を求める限度において正当であるからこれを認容し、原告のその余の請求は失当として棄却すべく、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九二条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 平峯隆 小西勝 首藤武兵)

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